ちなみに、ここでいう相対性理論とは
かの有名なアルベルト・アインシュタインが導きだした
特殊・一般相対性理論の事ではないのでご了承願います(^^;
では、一体何の事か?
基本的に人間は、個々人毎に個性というものを持っています。
これは、行動パターンであったり、思考パターンであったり
様々な場面での判断基準として、それは発揮されます。
この個性ですが、こう書くと良いようにもとらえられますが、
結局として、同じ出来事に対して様々な考え方が有るという事で
それぞれの差が、更にそれぞれの許容範囲内にあれば、
何事の問題もないのですが、
誰かしらの許容範囲を逸脱してしまうと、
更にはその方の行動パターンによっては
おおごとになってしまう事になります。
ちょっと抽象的過ぎて解りにくいので、
例えて言いますと、
とある公民館のサークルで芋煮会を開こうと集まりを持った時に、
ある人がとんでもなく人参が嫌いであり、
ニンジンの代わりに蓮根を入れるべきだ!と騒ぎ
今度は蓮根嫌いな人が、とんでもない!
と、猛反対!
そんな場面です。
・・・余計解りにくいかも(^^;
ともかく10人いれば10通りの考え方があるので、
全ての人が相手の考えを尊重できる理解者であれば
何の問題もないのですが、
そうは甘くはないこの世の中!
さすれば、離脱するのみ!
と、自分だけ(独り身)であれば、そこを辞めてしまえば
もうそこで問題から離れられるのですが、
そこに子どもが絡んできてしまうと、
なかなかそうはいかない場面が出てきてしまいます
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つまり、『常識』と違った行動をする親がいた場合、
その親といかにして付き合うかがかなり面倒になる。
という事です。
が、今回は、そういった場合に
どのようにして付き合っていくか?
ではないので悪しからず・・・です(^^;
さて、ここで考える一般的な『常識』ですが、
基本的には多数決の原理が作用すると思います。
つまり、多くの人が賛同する考え方が『常識』で、
少数派が『非常識』となる傾向にあります。
時々、その『非常識』な方が『常識』の方を論破して、
『常識』を覆してしまう場合がありますが、
滅多にはない事です。
さて、タイトルに用いた『相対性理論』ですが(^^;
ここでいう、『常識』の判断基準の考え方を指して使いました。
つまりは、他人と比較して自分が『常識』であると判断する事そのものは
他人と『相対的』に考えているという事で、
絶対的な基準ではないという事です。
なので、時々その『相対的』は『常識』が変わってしまうわけです。
ここで、言いたいことは、その親が持つ『相対的』は『常識』は
そのまま子供に受け継がれてしまう、という事。
まあ、何も考えなければ、
『別にいいじゃない!それで!』
となるのですが、
果たして、他人の子供を見た時にどう感じているでしょうか?
必ずしも周りの親全員が、『常識的』な人間ではないのでなないでしょうか?
ん?何が言いたいの?
と思われるかもしれませんが、
一番頭に留めていただきたいのは、人間は進歩し続ける生き物という事。
つまり、変化し続ける(べき)動物であるという事です。
なので、常日頃からそうする必要はありませんが、
時々、他人目線で自分を振り返り、
果たして自分は『絶対的』に『常識』な人間か?
を、注意していくべきであるという事です。
それを怠ってしまうと、その時の貴方の『常識』が
そのまま子供に引き継がれてしまうという事です。
つまり、その時の子育てする自分をキチンを見失わない事が
自分の子どもに対する責任でもあるという事。
その事をちょっと時間に考えながら、
子育てに頑張りましょう!!
特に2~3才時の子育ては、その後の子育てに
相当な影響を及ぼしますので、注意しましょうね♪
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