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生まれてくる子供は皆公平のはずではありますが、

時として、そうでないケースもあります。


これからお話しするのは、現実にあった(ある)

私自身の事についてです。



私には、その当時精神薄弱児と呼ばれていた

妹がいます。


その妹が生まれるまでは、まあ貧乏な方ではありましたが

ごくありふれた普通の家族だったのかもしれません。


残念ながら、妹が生まれる前の記憶は無いので、

その後の記憶の断片を辿るしかないのですが、


まず一番強烈にインプット(記憶)されているのが、

妹は障害を持っているので、幼いこの私に向かって母親が


もう一人弟か妹が欲しい?

でした。


たぶん4~5才の頃ではないかと思うのですが

その時既に、『自分の家は貧しい』という認識があり、


家族がもう一人増えれば、生活はもっと苦しくなる

という認識がありました。


いや、母親にそう認識させられていたのかもしれません。

その後、私が小学校を卒業まで、毎日のように


それまでに自分の身に起こった不幸な出来事を

繰り返し繰り返し幼い私に聞かせていましたから。


もちろん、我が家は貧乏だという事も繰り返し・・・。


まあ、そこまで書くと、我が家は、実は

『ごくありふれた普通の家庭』ではない事が

判ってしまうのですが( -д-)


さて、話しは私と母親だけの関係ではなく、

そこに妹が入り込んだ子育て論となります。


当然ながら、内容は濃すぎるほどあるので

今回はひとつだけ述べることにします。

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それは先にあげた、『妹か弟が欲しいか?』

これを幼い子どもに聞くか?!です。


しかも、(無意識とは思うが)うちが貧乏で

一人増えたらもっと大変という認識まで

子どもにさせておいて!


この4~5才という年齢ともなると、

ある程度の家庭状況というものの理解はできており

状況判断も出来るもの。


また、家庭の状況によっては、自分の望みを隠して

『配慮』という事が出来てしまうものです。


その時の私の強烈な記憶には、その言葉と同時に、

『本当は妹が欲しいけれどもそう言えない』

という気持ちが封印されています。


これは、全く同じケースではなくても、

子どもの子どもが同様に育ってしまうと、


『自分の心を圧し殺して』しまい、この年齢に必要な

『親への自然な甘え』が出来なくなることで、


歪んだ成長をしてしまい、

結果的に、歪んでいることに『自分でも気づかない』

不幸な人間になってしまいます。


話しを私の件に戻しましょう。


妹が障害を持っていて、今後一緒には遊べない、

しかも、自分はお兄ちゃんなんだから

妹の面倒を見るんだよ、なぁんて言われながら、


本当は欲しい年下の兄弟を欲しくないと『言わされて』、

更にはその事にも気付かずに『自分で決めた事』と諦めて、


その後も、不幸な女『を自分でも気付かずに演じた』母親を

少しでも助けようと気遣い幼少期を終える。


こんな子どもが普通の心を持つことは

残念ながら不可能でした。


それは、その理由に自分が気づくことができず、

更には、気づいても自分で修復できなかったから。


『三つ子の魂百まで』は、3才までのくくりですが

我が身の経験では、心の問題に関しては

その先まで引っ張ります。


つまり、そこまでしっかりと子どもの内面を見つめて

サポートしていかなければならないと言うことです。


4~5才になれば、通常に会話できるようになりますし、

感情や希望に普通に言えます。


これは、子ども本人が意識して言っているとしか

思えないと、外面からは判断できますが、


実際にあった私のケースのように、

無意識に、自分の望みを押し殺している可能性もあります。


なので、くれぐれも『子どもがこう言ったから』だけで

『本当の子どもの気持ち』を判断しないことが重要です。


そこで間違えてしまうと、その子の将来は・・・

私は想像したくはありません。

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