上に立つ
その言葉から
威張り始め
まあ、会社勤めが20数年、
50才を越えてもいまだに平社員ということは
まあ、退職までもヒラのままということでしょう(^^;
そんな私が、いやそんな私だからこそ
会社という縦社会における上下関係の不必要性を
ボソッと好き勝手言っちゃいます
まあ、そもそも人間には上下が無い、
みんな平等なんだよ、なぁんて事を
むか~し、学校で習ったような気がするのですが、
その時に既に学校では学年による上下関係が始まり、
会社勤めが始まると会社の縦割り関係にはめ込まれ、
またその一方では、田舎独特の年齢による上下関係、
そして、それを越えた昔からの実力者の別格座位。
とにかく、何かにつけ自分の優先順位を
誇示したがる人間が多くて困ります
まあ、ローカルな部分は問題にしても仕方がないので、
会社の係長、課長、部長、社長。。。
まあ、その中にはまって何も考えなければ
普通の事なのでしょうが、
平社員の私から見れば、
なぜなそんなに威張りたがるのか?
非常に不思議でならないのです。
まあ確かに、人より抜きん出た才能をお持ちの方も
なかにはいらっしゃるのですが、
だからと言って、下と思う人間をロボットのように
完全支配するがごとくに、
口答えしたいなら俺の上に立て
なぁんて今時なにぃ
というレトロな方の下についてしまった日には、
毎日が憂鬱で、早くに人事異動してお別れしたい
と思いながらの毎日を送ることになってしまいます
はて、そもそも上下関係というものは
果たして実際に必要なのでしょうか?
昔、かの有名な『マザー・テレサ』の映画の中で、
彼女は組織を作ることを
極端に嫌ったような、そんなことを記憶しております。
(昔の記憶なのであてにはならないかもですが(^^;)
人間が目的に向かって歩むことが出来るのであれば
組織などなくてもキチンと事は成せるはず。
でも、今のレベルの人間では組織を作ることで
目的を見失う、又は薄まってしまうので
組織化はしないと言った・・・かな??
まあいずれにしても、現実の社会は組織化された
いわゆる縦割り社会ではあります。
私としては、その事自体は問題ではないのですが、
そのとりまとめの役割を果たす方が
何故に自分中心になるのか?
私には理解不能なんですよねぇ、正直。
確かに能力に応じた配置であることに関しては
効率的で良いと思うのですが、
それはあくまでも単なる役割分担であって、
偉いと思う必要は無いと思うのです。
まあ、そんな私のような意見を持つ必要の無い
理想的に縦割り会社(社会)の中で生きている方は、
とっても幸せだと思います。
私もそんなところで過ごせたならば
毎日が楽しいだろうな、なぁんて(^^;
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さて、そんな愚痴ばかり言っていては記事にはならないので、
ちょっとだけ論理的に考えてみました。
つまり、何故に人は威張りたがる(割合が多い)のか?です。
まあ、あくまでも個人的な意見でしかないのですが(^^;
思うにこれは、やはり種の保存、
要するに優れた種を残そうとするあれです(^^;
その遺伝的要因が絡んでいるのではないか?
そう思うのです。
つまり、肉体的或いは頭脳的に優れたものが
生き残る事が出来るというもので、その仕組みが本能として
『私は偉いんだよ!だから私を選びなさい!』
的な行動を作っているのではないのか?
そんな感じがするのです。
じゃあ、威張ることを正当化しているのではないか?!
と言われそうではありますが(^^;
そうではなくて、
実はそうなるのは、あくまで動物的な感覚に沿った場合、
つまりは人間的ではないと、(私は)思うのです。
人間的であれば、そんな偉い能力を持っていながらも
威張らないでいられる、そんな方が・・・
身近にいたらなぁと思う昨日この頃
定年まではまだしばらくあるので、
じっと我慢の子ですです(^^;
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