気がつけば
我が身の写し
子のしつけ
そもそも、親が子どもを育てるということは、
自分の持つ常識や行うべき事、いけない事などを
子どもに伝えながら、
躾と言いつつ、時には半ば強制的に
親の思考パターンを植え付けていく
ということではないのかなぁと思うのです。
とはいえ、家庭環境によって、
親の影響を受ける割合は
だいぶ異なってくるとは思います。
例えば、祖父母が同居していたり、
家政婦さんがいたり、
ほぼ一日中保育園に預けられていたりと、
子どもが置かれる環境によって
親から受ける影響の割合は
かなり違ってくるわけです。
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ところで、例えばの話しですが
親が熱烈な宗教活動家だったとします。
そうなると、自分の子どもにも
その自分の愛する宗教を伝えたいと考えるわけで、
もし、そこで外界からの影響を遮断してしまえば
つまりは、事実上の監禁ということですが、
親から来る情報しか子どもには伝わらないわけで
そうなると、子どもが熱烈な宗教活動家に
育ってしまう確率は、非常に高いと思うのです。
ただ一般の場合は、これが宗教活動家ではなく
ごく普通の家庭だったというだけの事で
そういった言い方はされないものの
内容としては同じこと?
つまりは、一種の洗脳になるのでは?
と、思ったわけです。
まあ、洗脳と言ってしまうと
悪い人間に染めてしまうイメージがありますが、
外界との接触を遮断して子育てを行えば
結果としては親の思考、思想を
そのまま受け継いでしまうのではないでしょうか?
これはある意味洗脳なのではないか?
と、思うのです。
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さて、ここで生物学的な考え方をしてみます。
一般的には、高等生物の種の保存の条件としては
なるべく近親ではないもの同士の組み合わせの方が
より強い種を残すために必要な事とされています。
つまり、より多くの情報を取り入れた方が、
生存率が高くなるゆえの事です。
ということは、子育てを行うにおいても、
子どもが接するのは親だけというのではなく
親・自宅以外の環境に接するということが
とても重要になるのではないのでしょうか?
もちろん、そこには、病気や怪我という
厄介な問題、というか危険性が伴いますので
その点には注意が必要です。
ですが、その危険性を危惧するあまり
子どもをずーっと家においておくというのも
そういった意味で危険なのではないかと感じます。
なので、子どもをグローバルな人間に育てたければ、
早いうちからいろんな環境に触れさせて、
より多くの情報をインプットした方が
種の保存の考え方と同様な
より高度な人間に育ってくれるのではないかと
思うのです。
うちの場合も、そういった考え方もあり、
また、子どもが早くから
いろんなものに興味を示していたので
年上の子の影響も受けられる
こじんまりとした保育園に通わせたのでした。
そうした事で、
親の洗脳から逃れられるのではないかと思います。
が、もちろん、親の愛情を受けることも重要なので
朝から晩まで預けるということはいけません。
様々な情報を与えておいて
あとは子どもが何を選ぶか?
これが子育てなのではないかと思います。
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しゅわっち様
自分は、子育ては鉄道のようなものと考えて参りました
親が真っ直ぐなレールを敷いてやり、子供が各駅停車でその上を走らせ、種々自分で判断がつくようになってきたら、途中下車したり、急行で走らせたり・・・、しかしあくまでレールを敷くことは、それが些少に湾曲していようとも親の責と思います
な~んて考えていたら、30年近く経ってしまいました^^
くだらぬ私事でした。。。
工房とも
おはようございます^^
おっしゃるように子育ては一種の洗脳教育です。だから「常識」というのは、その家の親の思う「常識」が子供に受け継がれる。たくさんのもの、人に触れさせるのは悪いことではないですが、外にも危険な人はいっぱいですから、例えば学校教育によって「日教組」に染まるとか・・・
何事もバランスよく、しかし子供が安心して「素」になれるのは親の元であることも忘れず、日々の教育が大事かと・・・
しゅわっちさんの「洗脳」、、確かにそうだな。と思いました
周りを遮断し行き過ぎた親の考えを押しつけて教育するのは
もはや「洗脳」に近いかもしれませんね。
そんな子供が増えないことを祈ります。
そして、私は我が子を自分の分身だと思って育てています。
だから自分の価値観も悪意なく当たり前に受け継いでもらってますw
気を付けますね✿
しかし、長男も小6になると私よりも頭良くて^^;
子供ながらにしっかりとした考え方もあり、親の言葉にギモンを感じたら意見もします。
その時には、ちゃんと子供の考え方がもっともだ。と納得するときもありますし、子が親を超えてきた瞬間を感じます。
そして、背も頭脳も親を追い越してくれる喜びを感じつつ、私も子どもと共に勉強している毎日であります。
こんにちは^
私も今育児真っ最中ですが、常々同じようなことを考えていました。
>躾と言いつつ、時には半ば強制的に親の思考パターンを植え付けていく
躾に限らず、子供の判断基準や思考の基本部分はどうしても親の行動様式が基本になってくると思います。私自身もそうだったのですが、幼少時代に母方の実家に一時あづけられたり、家政婦さんがいたり、祖父母と同居していたり、親の兄弟が一緒に住んでいたり、環境的に恵まれ、親以外(とっていも親族中心ですが)と接する機会が多かったため、この親による洗脳?については、ある程度緩和された感があります。おかげ幼少期に色々なことに疑問を持つようになり、自分なりの常識や正しいことを考えられるようになりました。ただし問題もありました。一番身近な存在である両親が正しいと思うことと、自身の正しいと思うことの乖離が大きくなり、親不信?に陥ることなどです。親自身が柔軟性が高く、子供の考えを理解できる場合は回避できるのでしょうが、年齢が高くなり、その人の中で常識というものが確立した状態にあるとなかなか受け入れづらくなるようです。
こういったことを色々思い出しながら、子供を多種多様な人達の場に置き、親のからの固定観念を外し育てていく場合、同時にそれを受け入れる親側の柔軟性も重要だろうなぁなどと考えてしまいました。
私自身もしゅわっちさんの考えに大賛成で、子供を色々な方々に触れさせて育てていくつもりでいますが、自身がそれに耐えうる柔軟性を持てるかどうかが一番の課題だったりします^